ブログ木の便り

2020年4月

不可能を可能に

不可能を可能に

挽き曲げと言う技法を使って木を曲げたものです。

学生時代に灰外先生が得意とされた技法ですが、二年ほど前にお亡くなりになってしまいました。

コロナ自粛もあり、自分が出来る事とすれば、出会った方の思い出を形にするのも良いかと思いました。

その先生には弟子入りを懇願したことが、過去にございますが、結果的に取って頂く事は出来ませんでした。

その先生がおっしゃられていた言葉の中に、「出来ることをモノマネでも良いからやってみなさい」それが口癖のようによく言われました。

頭で考えるより手を動かしなさい。と言う意味や、他の方が作った物で勉強しなさいと言う意味でした。

なので、これを機会にもう一度、私の原点の木工を追い求めてみたいと思います。
裏出しから学んだこと

裏出しから学んだこと

コロナ自粛により、作品作りに時間を過ごして行くうちに、道具のメンテナンスを始めました。

以前より、学校やその道の方に教わった方法で進めておりましたが、どうしても納得できない点がいくつかありました。

一旦作業をやめて、そう言えばこんな道具があると便利だと思っていた鋸切りと、私が持っている有名な方が作った、切り出し小刀が刃こぼれするので、自粛中ではありますが、刃物屋さんに相談も兼ねて、行ってまいりました。

 

鋸は沢山説明をして頂き、理想の形を作るには3万円ほど掛かると言われ‥断念し、手元の鋸を目立てし直す方向で、お願いしました。

 

同時に、切り出し小刀と写真の鉋(カンナ)を持って行き、電子顕微鏡で鋼の質を見てもらいました。

 

切り出しの刃こぼれする理由の一つとして、鋼の細胞に炭素分が多く網目状になっておりました。

その他、鋼の付け方や、銘の入れ方、裏スキ、から判断すると、その方では無い物と、先代が有名な息子さんが作り、大量に出した物だと判断してもらいました。

 

ついでに、鉋を見て頂きましたが、裏出し、鉋台、歯口についてご指導頂きました。

その時に、刃物屋さんのお父さんが、裏出しやってあげるけど?と言って下さったので、目の前で見せて下さいました。

 

学校や木工の先生や本などとは、全く違うやり方で、ものの5分で、こんなもんかな?

と説明をして頂きながら修正して頂きました。

 

その時に心の底から、なるほど!

と色々な意味が分かり、パズルのピースがハマるような衝撃でありました。

刃の裏出しまで求める事で見えてくる、仕事へのこだわり。

 

そのお父さんが、おっしゃってた言葉で、「鉋は理屈ですよ」

 

はー。だからか。学校やその道の人や本は、所詮は、ものまね。

自分で考え、壁に当たった時に、その壁を乗り越えた景色は、本人にしか分からない。

裏出しが刃物の命ではありませんが、一つ一つの手入れから積み重なる壮大な意味のある形。

 

その理屈が自分の見た景色と合わせる事で、真実が見える物だと、道具から教わりました。

修理後

修理後

塗装も上手く行き綺麗に出来たと思います。

安いテーブルかと思いますが、使っている縁周りの無垢材は、上質なミズナラでありました。

なぜプラスチックの天板に(メラミン板)このような材を使うのかな?と思いながら出来る限りのことをいたしました。

明日納品いたします。

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ごくまれに材木を購入する場合に、銘木が混じっている時がございます。

その時は、見た目では全く分からないのですが削ってみますと、以上に堅かったり、杢目が飛ぶ(逆目)場合、作業をやめその材を確保しております。

今回、作品を作る事をコロナ自粛も含め、行っております。
その時に出た、銘木を今回使っております。
テーブル修理前

テーブル修理前

なんとか塗装を剥がし、再塗装いたしました。

無垢材の生命力はすごい物だと再認識いたしました。
一枚の板から 2

一枚の板から 2

理屈を行動する事で結果が出る。

挽き曲げと言う技法に奥行を出す事にチャレンジしておりますが、理屈としては出来る。

ただ、ここからは偶然では形にならない精度と想像力との戦いであります。

次に、この新技法をどんな形にするのか、しばらく木とにらめっこになります。

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そんな異世界の頭の中、家族とTVを見ながら夕飯を食べている時、九谷焼の作者紹介をしていました。
その方の作品が、柄が細かくスゴイとなっていましたが、私も石川県に住んでいた時もあり、久谷について少しかじる程度知っておりました。 その作品を見ておりますと、線が汚い、ベンガラ釉が久谷の代表色、書きやすいのが特徴、多色を使いさらに細かいのがスゴイと評価をされるなら、歴代の方や、現在でも、もっと細かい方はいらっしゃるなど、うだうだ言っておりましたら、妻に「素直に褒めればいいじゃん」って叱られましたが、「いや、凄くない」。自分が負けたとか、出来ないならともかく、これをTVで紹介するほどの価値が無いと思ってしまいました。

後ほどその方を調べましたら、著名な方とコラボをされて、その一環としての繋がりのようでした。

工芸の事を知れば知るほど、その深さがあり、他と比べてしまう。
その深さから光るためには、強烈な光でなければ、世に届かない。
そんな気持ちで作っております。
一枚の板から

一枚の板から

コロナウイルスの事を考えて行く中、自分はどう過ごしたいのか?の疑問に模索いたしました。

自粛や仕事が減っていく中、今の内に作品を貯めて展示会でいずれ販売するのか?かれこれ4年ほどPS4(ゲーム)の購入を我慢している気持ちを開放するのか?色々と考えていくうちに、自分がコロナになり死が訪れる事となった時、どう思うのか...。

結果として悔いが残る。いつ死んでも良いそんな準備が必要なのでは?と思い、自分の中で不可能では?と思う技法に挑戦する事といたしました。

結論として不効率で、金銭的にもプラスにならない想像だけの事に、意味の無い時間ではありますが、作品に自分を写すことが、私の答えなのかと思います。